掛橋和泉(P12)
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四万十川源流域の水の流れ
三島神社は、町の北のはしにあった。
ぐるりと、境内をとりまくように川が流れている。
古いコンクリート製の橋の下は川底が透けてみえる、いかにも四万十川の源流域の澄んだ水で、手結さんは、欄干にもたれて、そのすがすがしい流れに見入った。
橋の古さと神社の雰囲気がちょうどつりあっている。
狭い境内は、閑散としていて人気がない。
樹齢数百年を想わせる杉の大木が数本、川に沿って立っている。
ぶらりと一周して石段をおりてゆくと、橋の中央付近で、六十歳くらいのおばさんが、じっと水面をのぞきこんでいた。
手結さんが近づくと、ひとの気配を感じたのか、彼女はふりむき、視線があった。
おばさんは、初対面の都会人に、人のよさそうな笑顔を見せた。
人なつっこく気安い笑顔に、手結さんは、つい、
「何を、そんなに、じっと見つめておられるんですか」と話かけた。
「川上」となのるこのおばさんは、これからバスでこの川にそって二十分ほど奥の家まで帰るところなのだが、時間待ちのあいだ、こうやって水の流れを眺めているのだという。
手結さんが東京から来たというと「それはそれは、さぞかしお疲れのことですろう」と、旅の労をねぎらい、うれしそうに、よもやま話をはじめた
おばさんには手結さんと同年齢の息子さんが東京にいて、めったに電話もかけてこないという。
いい歳をしてひとり者で、たまに電話をしてくれば金の無心で、たまったものじゃない。わたしの老後はいったいどうなるんだろうと思うと、ときどき不安になって真夜中にハッと目の覚めるときがある。
手結さんは耳が痛かった。
これじゃ自分の母親の台詞と寸分ちがわない。やれやれ。
神社のまえの古い橋の上から、ぼんやりと水の流れに視線をおとす六十がらみのおばさんの後姿に、つい親しみをおぼえて語りかけたのだったが、何が糸をひいたか、この「川上のおばさん」は、手結さんの胸をうつ話を、問わず語りに聞かせてくれた。
おばさんは、土地の歴史に詳しく、なかなかの物知りだった。
以下、聞いたままを歴史物語風に書くことにすると・・・・・
*****
文久元年、武市半平太の下、土佐勤皇党が結成された。
津野山からも多くの郷士がこれに加わった。
ペリーの黒船来航(1853年)以来、この四国の山奥の村里でも海防の問題が人々の日常の話題にのぼるようになっていた。
元来議論好きの土佐っぽのこと、こどもたちの遊びのなかでさえ、一種恐怖をもって侃侃額額のやりとりがかわされた。
はっきりした年はわからないが、その頃。
掛橋和泉が、自宅の屋根裏にある秘密の部屋にはいってゆくと、薄暗い蝋燭の灯の下でひそひそ話をしていた二人の武士が、
「おうっ、遅かったのう」と、すこし声のトーンをあげた。
身振りでその声をおさえた和泉は、遅れたわけを告げ、詫びた。
「下に客が見えちょります。小声でお願いします。ところで俊平先生、お急ぎの御用とは何ですろう?」
「まぁ、座れや。母上は?」
「珍しゅう、この部屋を使わいてくれっちゅう先生のお申し出に、怪訝そうな顔をしよりましたが・・・」
「そうか、すまんすまん」
年配の痩身の武士は那須俊平だった。
眼光はおだやかな中にもするどいものがあるものの、全体に人のよさそうな風貌と言える。
那須信吾の義父であり、槍術の師でもあったが、なにより若い志士たちからの人望あつく、今風に言えば、高校野球やサッカーの監督のような存在だろうか。
もちろん、軽い時代ではなく、ものごとすべて「命懸け」で行動しなければならない世のことだ。
もうひとりの若者は前田繁馬。
後、「天誅組」に加わり、虎太郎とともに吉野の山中で討ち死にしている。
「話はほかでもないが、もうじき、信吾が、龍馬殿をつれてくる」
「え?龍馬氏(うじ)を?ほんとうですか。いつ。どこに。まさか、ここに来られるのでは」
和泉は、坂本龍馬と同年だった。氏(うじ)というのは尊敬と親しみのこもった敬称である。
「いや、そういうわけにはいかんろう。ここでは狭すぎるし、かえって目立つ。おぬしの母上の目もあるし」
「で、どこに?」
「市吉屋(いちよしや)がええろう思うて、手配しちゃある。あそこの女将ならさり気のうやってくれるはずじゃ。たとえ人目についても心配いらんろう」
(市吉屋は、現在地元の高校の敷地に挟まれ、朽ちるように在る古い民家の所在地にあって、五六十年ほど以前までそこから少し下った場所で旅館業を営んでいた)
「そうですか。龍馬氏なら、いろいろ面白い話を聞かいてくれるろう。そりゃあ楽しみなことです。のう、繁馬よ」
「はい、拙者もさっきから、うずうずわくわくしよります」
「もうじき龍之助がよびに来るはずじゃ」
中平龍之助は俊平とともに忠勇隊に参加し、元治元年七月、やはり討ち死にしている。
「ほんでも、そんなにこそこそすることもないですろうに」
「いや、やっぱり、あんまり派手にやるわけにもいかんろうちや」
「それはそうと、和泉殿、こよりとはその後どうなったぜよ。あんじょ、よう、いきゆうろうか」繁馬が口をきいた。
「いや、それが・・・」
和泉の家から尾根ひとつ越えたところに、泉谷(いずみのたに)というところがある。
その谷の奥まったところで猫の額ほどの土地を耕す、今は百姓の、どこから流れてきたとも知れぬ”没落貴族の娘”と、和泉は恋仲にあった。
「和泉が泉の娘に惚れた」ということで、仲間うちからは、しきりにはやされていた。
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