義堂と絶海

 「義堂」と「絶海」って誰のこと?
 四万十川の源流とどんな関係があるの?
 たいていの人は、「?」で、そう感じると思います。

 この二人は「足利時代の高僧」で、この地に生をうけました。(十四世紀)
 なかでも「義堂」は、足利義満の「人生の師」ともいわれ、さまざまな薫陶を与えた人なのだそうです。

 二人とも「鎌倉五山文学」の中心をなし、特に、絶海は漢詩に秀で、中国にも留学したと伝えられています。

 つい数十年前、この地から海岸線の中心地であった須崎市まで出るのに、バスで三時間もかかりました。

 それよりもはるか大昔、徒歩にたよるしかなかった中世、残されている街道とよばれる小路をたどって行き来
した時代、彼らの優れた才は、どのように、中央の人々に見出されたのでしょうか。
 初めてこの地を訪れたとき、その不便な時代のことを想えば、誰も、驚かずにはいられないと想います。

 一廻り年下の「絶海」は、「義堂」の助力を得て中央に進む道を開いてもらったことは、想像に難くありません。
 しかし、十歳前後で、既にこの地をはなれたといわれる義堂はどうだったでしょう・・・・・

 高知の人々に、広く敬愛される「司馬遼太郎」は、この時代(鎌倉五山)を”探求するには危険な時代”といい、
「五山文学」そのものを、あまり高く評価していないようです。
 「そもそも”漢詩”などというものは、詩的才覚以前に、それなりの漢字を並べてみれば、それなりの、それらしきものが
何となく出来上がるものだ」とさえ、言い切っています。

 漢詩のことは、よくわかりません。

 はるか、遠く、この時代、こんな山奥から・・・・
 このページの趣旨は、そんな漠然とした思いに発し、それにつきます。
 (余談ながら、司馬遼太郎は、私も、尊敬すべき、大好きな作家の一人です)

 義堂周信・・・http://www.tabiken.com/history/doc/E/E196R100.HTM
           http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%A0%82%E5%91%A8%E4%BF%A1
 絶海中津・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E6%B5%B7%E4%B8%AD%E6%B4%A5

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